2005-12-05
_ 朝
0600 起床。
普段は Yahoo! の天気予報利用しているのだけどインターネットに接続できないので久しぶりにテレビの電源ケーブルを差し込んだ。電源のアダプタの数が足りないので普段はテレビの電源ケーブルを抜いている。
ここでテレビを見るのは 10 月のはじめ以来かしらん。
_ 交響詩編エウレカセブン
オープニングからアフロが波乗りしていたりそもそもオープニングが無かったりちょいと演出の趣がいつもと異なる第 33 話。
劇中で「 ゲッコー号のフライバイワイヤが故障して云々 」という話題があった。
以下引用。
操縦桿やペダルの動きを、機械的にケーブルや油圧装置を通してエルロン・エレベーター・ラダーなどの操縦翼面を動かすのではなく、一度電気信号に変換し、信号線(ワイヤー)を通じて操縦翼面に伝える。
航空機で現在でも使われている技術。現在よりも未来っぽい世界観のエウレカセブンでもちゃんと生き残っているのですなあ。
_ 教養
教養という言葉がある。
まずは辞書の意味を確認する。
via goo 辞書
(1)おしえそだてること。
(2)社会人として必要な広い文化的な知識。また、それによって養われた品位。
(3)単なる知識ではなく、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術など。
以前 「収入増=支出増」は無能な証だ の話題を IRC にふって「 教養ねえ、要るのかねえ、どうかねえ 」などという会話をほんのちょっとしたことがある。
「 教養とは無くてもいいけどあると人生が面白くなる 」というくらいに認識していた。雑学みたいなものか? しかしいまいち説得力がない。
などと悶えていたところで以下の文章。
以下引用。
だが、本当の教養の価値というのは、スノッブ集団のプロトコルではなくて、
・古典を知っているから深く味わえる作品があること
・古今東西を知ることで全体像を理解すること
・自分と無関係の他者に対する想像力を強化できること
・”ビジョン”に幅広い支持者層を得られること
・面白いユーモアを言えるネタ元
といったことにあるのではないだろうかと、私は考える。
先日の忘年会( 2005-11-26 )のときに 矢道さん との会話で「 いま我々がイメージするドワーフやエルフを形作ったのは指輪物語だ 」という話題があった。
そのように考えると情報考学から引用した最初の「 古典を知っているから深く味わえる作品があること 」にあてはまる。
たとえば私がいままで触れた作品にも関連がありそうなものはいくつかある。
- 嵐が丘( 2004-12-02 )の「 過去から現在へ向かって物語を登場人物に語らせる 」という手法は FF 10 のティーダの語りと同じ
- 白鯨( 2005-10-01 )を読んでおくとロマンシングサガ 3 のフォルネウスとブラックの因縁を楽しめる
- モンテクリスト伯( 2005-11-12 )のエドモン・ダンテスが牢獄で掘っていた穴はショーシャンクの空に( 2004-04-25 )でも主人公が実践していた。
などといったことを楽しめるわけだ。