2007-11-21 :-)
_ 朝ったー
0540 起床。ねむ。風呂のなかでねむ。
_ [ミスティック・クエスト][笹井隆司][川上泰広]通勤ったー
ミスティック・クエスト
ゲーム未プレイ。作曲は 笹井隆司さん、川上泰広さん。笹井隆司さんが曲を書いた ルドラの秘宝 が大好きだったので笹井隆司さんの曲を探して買いました。発売時期は ミスティッククエスト のほうが先なんですね。サントラにはオリジナル曲とアレンジ曲が収録されてます。オリジナルを聴くと「 この曲調がルドラに通じるんだな」と感じます。アレンジはだいぶロック調になってます。
B00005F1PL
_ 仕事
0830 出勤。
_ アスキーコードを入力して文字を出力する
最初は ruby でやろうとしたんだけど
% for h in 41 42 43; do ruby -e 'printf "%c\n", ARGV.shift.hex' $h ;done A B C
それ bash で出来るよ。
% for h in 4b 41 48 4f 52 49; do echo \\x$h ;done K A H O R I
_ [陽][陰][ゲームミュージック]「陽」のゲームミュージックと「陰」のゲームミュージック
中杜カズサさんがゲームミュージックの BGM としての役割りについて触れています。
その場面で要求されること、つまり無音では無いけど、気にならないように音を流すという目的にかなっているわけですよね。となると、これと同じようなシーンがゲームミュージックにもあるのではないかと。
「陽」とは、音楽自体が目立って、その音楽が場を支配してしまうもの。そして「陰」は、音楽は目立たないけど、確実のその場の演出に成功しているもので、前述のWiiメニューなどはこちらでしょう。
陽の曲は曲そのものを楽しめるものです。たとえばリッジレーサーシリーズの曲です。陰の曲はゲームを演出する縁の下の力持ちとしての曲です。その場面で聴くことで初めて味わいがある曲です。たとえばファイナルファンタジー 12 の曲です。
陽
「ゲームミュージックのどこが楽しいの?」と問われたとき、回答として「曲そのものを楽しんでいる。ゲームミュージックはそれだけでひとつの音楽作品である」と答えると簡潔です。この回答で触れた「ゲームミュージック」は陽のことを言っています。
ゲームミュージックが好きではないひと( 嫌いという意味ではない )に陽の曲を聴いてもらうと「ゲームミュージックは音楽作品である」ということが理解してもらえると思います。やったことないけど。
陰
陰の曲は BGM です。文字通り背景になる音楽です。
以前崎元仁さんが「 音楽を目立たせないようにする、BGM に徹する」と言っていました[ 2007-07-05 ]。FF12 の曲に不満があるひとたち[ 2007-01-18 ]というのは、こういった BGM としての曲に不満があるんでしょうか。いや私は FF12 の曲は満足してるから FF12 の曲に不満があるひとの気持ちが分からないんですが。
おそらく「ゲームミュージックのどこが楽しいの?」と問うひとは陰の曲を想像して言ってるのだと思います。「ゲームミュージックはその場面で聴いてこそ味わえるものであろう、それなのにゲームミュージックだけを聴いて楽しいのか?」と問うわけです。
ただ、プレイしてないゲームの陰の曲であっても「この曲はどのような場面で使われるんだろう」というふうに想像して楽しむことはできます。たとえば FF5 と FF6 のサントラはゲームをプレイする前に買いました。中学生のころかしら。サントラの曲を聴きつつパッケージに描いてある天野喜孝さんの絵( FF5 オーディーンとの戦闘の場面や、FF6 エドガーの絵などなど )を見ながらまだ見ぬゲームの世界を想像しました。これは小説と挿絵の関係に似ています。小説で使う表現は文字のみです。絵は基本的にはありません。わずかにある挿絵のみです。挿絵が無い小説もあります。絵が無いのでその場面が展開している様子を想像しながら読みます。挿絵があれば、自分の想像を挿絵で補足しながら場面を想像して小説を読むわけです。