2005-01-31
_ 仕事
0830 府中。
1715 退勤。
0815 ころに受け付けに着いたのだけど、入場許可証の有効期限が切れてたらしくて再度発行手続きしていたらなんだかんだで 0835 ころ入場になってしまった。
_ なれそめ
周囲の方々( くろさん、ほりさん、よしみつくん )の間で流行っている/たので書いてみた。日記のネタがないんだろとかいわない。
書いてみて気づいたのだけど他の方々となんだか趣旨が微妙に違う気がするが気にしない。
おもな出来事年表。
1988 年
ドラゴンクエスト 3 のゲーム音源をカセットテープに録音する遊びをはじめる。
1988 年
交響組曲ドラゴンクエスト・イン・ブラスのカセットテープを発見。購入
1988 年
交響組曲ドラゴンクエスト 3 のカセットテープを友人が持っているのを発見。自分もレコード店で購入。世間にサウンドトラックという市場があることを知った。
1992 年
ファイナルファンタジー 5 オリジナルサウンドラックの存在を知る。購入。
中学末期のころに購入し高校受験勉強に明け暮れていたときに毎日聴いていた。
1994 年
ファイナルファンタジー 6 オリジナルサウンドラックを購入。
高校生のころ、友人がゲームミュージックを聴くという趣味を持っていたことを知ったが自分のゲームミュージックを聴く趣味については秘匿していた。
1997 年
國府田マリ子を知る。「 なんでだってば!? 」を購入。
高校生のころ、車で親を最寄駅まで迎えに行って待っている間が暇だったのでスーパーアニメガトップテンなんぞを聴いてしまう。そこで國府田マリ子を知る。分かるとおりに昔からアニメやらの方面には興味があったのだがいままでニュータイプを買ったり声優グランプリを買うなどという能動的な行動はしていなかった。ごくたまにラジオからアニメな曲が流れているのを聴いたがそれが何なのかも知らなかった。意を決してラジオを聴いてみた。そんな駆け出しな私に國府田マリ子の「 ぅゎなんだこいつ 」と思うようなあのしゃべりと声が襲ってきたのであるが「 まあこーいう芸術肌のひとたちは少しくらいぶっとんでるのが普通なんだろうな 」と FF 5 のライナーノーツの植松伸夫のコメント( 下記参照 )を知っている私にとってはさして驚愕ではなかったのだが気づいたら「 なんでだってば!? 」を買っていた。
2003 年
THE BLACK MAGES ライブ。
聴いて自然に身体が動く音楽はゲームミュージックなのだと実感した。
2004 年
TOUR de JAPON music from FINAL FANTASY
諸般の事情により神経衰弱状態になりそれまで興味を持っていた國府田マリ子や坂本真綾などにさっぱり興味がなくなっていたところに植松伸夫ショックが襲来した。ウェポン襲来。
まとめ
以上のように、ゲームミュージックへのなれそめはドラクエ 3 である。声優ファン方面のなれそめはつい魔がさして聴いてしまったスーパーアニメガトップテンでの國府田マリ子である。
しかしいわゆる声優ファンを始める前からゲームミュージックに興味があったのである。神経衰弱状態のときにまわりのあらゆることに興味がなくなっていたときに自然とたどり着いた先が植松伸夫だった。
植松伸夫
なぜそこまで植松伸夫にこだわるのか。
植松伸夫を最初に知ったのは FF 5 サントラである。私の日記には何度か引用しているが FF 5 サントラのライナーノーツがある。
「 赤尾、何か一言いえよ。あ、もうスペースないか。」
「 ......く〜......いいですよ。どうせ僕なんか.......」
「赤尾ォ、泣くなよ。ホラ。涙拭いて、さ、メシでも食いに行こ。俺がおごるよ...納豆定食でいいよな?「赤尾ォ、泣くなよ。ホラ。涙拭いて、さ、メシでも食いに行こ。
これを見て衝撃だったのは、状況は納期が迫った殺伐とした状態であろうにもかかわらず仕事を楽しんでいることだった。「 植松伸夫と同じ職場で働いてみたい 」などと中学生のころに夢想したものである。いまだに納豆定職は食べたことがないが。
中学のころからだいぶ間が空いて 2004 年の Tour de Japon にて、植松伸夫の実物を初めて見たときに、やはりここでも仕事を楽しんでいる植松伸夫を目の当たりにした。「 ヲレはなにやってるんだろうな 」というのがその感想である( 2004-03-12 )。
また、FF 6 ( 5 じゃないよ )サントラのライナーノーツに書いてあるのだけど、音楽つくりという職業は植松伸夫にとって天職であるという。
天職といえる仕事をし、その仕事を楽しんでいるというのが私がもっている植松伸夫像であり、だからこそ私は植松伸夫を崇拝しているのである。
植松伸夫が私の原点である。
人生思うがまま
私のお気に入りの植松伸夫の言葉がある。
「 人生思うがまま 」
これは「 FINAL FANTASY 1987 〜 1994 」の付録の冊子の表紙に書いてある言葉である。冊子というかエッセイ集になっている。いくつかすばらしいエッセイがあるのだけどほとんど中身を忘れてしまったが、ぱっと目についた話を引用する。
我々二人にはでっかい夢があった。僕は将来音楽でメシが食いたかったし、彼は絵描きになりたかった。学芸高校という進学校に通う他の友人に話しても相手にされないそんな無謀な夢でも画伯だけには話すことができたのだ。
( 中略 )
かつて周りには我々の行く末を心配してくれた人達がたくさんいたに違いない。親兄弟はもちろん、学校の先生や友人からさんざん聞かされた言葉を思い出す。
「 やめた方がいい 」
「 そんな甘いもんじゃない 」
「 無理だ 」
「 あきらめろ 」
「 いつまでも子供じゃないんだから 」
「 夢から目を覚ませ 」
「 我慢しろ 」
でも結局二人はものわかりの悪い、甘えた、無謀な、あきらめの悪い、夢見てる、我慢できない子供であったんだろうな。
僕は今でもそう思っているのだが、夢は見るためだけにあるものではないと思う。それはかなえるためにあるものだ。嘘だと思うならやってみるがいい。夢を実現できない人というのはいつも自分からは何もやろうとしないで文句ばかりいtっている。夢をかなえることができる人というのは、夢に向かってまず小さな一歩を踏み出せる勇気を持つ人のことをいうのだ。
まさに「 やりたいことをやれ||!http://www.shiro.dreamhost.com/scheme/trans/hs-j.html 」である。