2005-01-27
_ nadoka
気づくと ping timeout してることが多発している。ping timeout をちょっとだけよくしました( [nadoka:215 ) ということで nadoka さんを上げた。
一晩放置してみたのだけどやはり ping timeout してるみたいだ。
_ 激突マン Z
はじめに
電車に乗ってるときや電車を待っているときなどじっとして突っ立っているときに私のカバンに激突してくるひとがいる。激突されると私の身体に対する相対的なカバンの位置がずれるので激突されるたびにいちいち位置を直さないといけない。いちいちいち。
さて、電車を待っているときというと舞台は当然駅のプラットホーム( 社名ではない )である。電車に乗っているときは舞台は電車内である。双方の舞台はともにそれなりに空間がある。空間があるということは私を避けて通れるということである。そして私はたんに突っ立っているだけなので、私の存在はいわば柱や手すりみたいなものだ。
ところがだ。
カバンに激突してくるひとは、柱のような存在の私を避けて通れるくらいの空間があるにもかかわらず私のカバンに激突してくるのだ。
これはおかしい。
言ってみれば、そこら辺の歩道の柱にかかっている看板に意図的に激突しているようなものである。歩道を歩いているときにわざわざ看板に激突しているひとなぞ見たことがない。せいぜい酔っ払いくらいである。しかし、いま話題にしているひとびとは通勤や通学時のひとびとなので、酔っ払っているということはない。たぶん。なかには酔っ払い状態で勤務可能な職場や、酔っ払い状態で授業を受けられる学校があるのかもしれない。世界は広いのだ。
ひとまず「 通勤通学しているひとびとは酔っ払い状態ではない 」という仮定のもとに話を進めよう。
ということは、だ。私のカバンに激突してくるひとびとは素面( しらふ )である。素面なのに私のカバンに激突するのである。柱の看板に激突するのである。
私はいままでの人生において、素面なのにそこいらの何かに激突するというひとをはいまだに見たことがない。未知のひとびとなのだ。まさに未知との遭遇である。
ひとは未知と遭遇したときにどのような状態になるのか。子供ならば好奇心旺盛だし常識/非常識にとらわれない、偏見がない態度をとれるだろう。しかし私はもはや子供と呼べるような年齢ではない。いちおう社会人として勤労し社会的な立場がある人間である。子供のように未知を無邪気に受け入れる素養はないのである。曲がりなりにも理系っぽい思考を働かせて「 すべての現象には原因がある 」と考えてしまうのである。
今日のお題
では本題に入ろう。
ひとはなぜカバンに激突するのか。
これを考えてみる。
結論
報告書を書くときはまず結論から書けの原則にしたがって結論を書く。
ひとがカバンに激突するのは、そのひとは自分にかまって欲しいと思っているからである。
激突指向
「 激突してくるひとびと 」では長いのでここでは「 激突してくるひとびと 」を「 激突マン 」と表記する。好みによっては「 アレックス激突マン 」「 激突マン Z ( ゼータ )」「 Ξ( クシー ) 激突マン 」「 激突マン V2 アサルトバスター」「 ∀ ( ターンエー )激突マン」などと呼んでみると強そうに見えていいかもしれない。間違っても「 できそこない 」「 白ひげ 」などとさらなる別称で呼ぶことはよそう。弱そうに見える。また「 Z 」は「 ゼット 」と読むと「 老人 Z 」のようでカッコイイですね。これは私のおすすめです。英語文字とギリシア文字は全然違うけど。
もう一度確認しておこう。激突マンは酔っ払いではない。素面である。
素面なのにカバンに激突してくるということは、少なくとも意図的に激突しているはずだ。無意識に激突しているとすると、激突マンの空間把握能力が欠乏していることになる。これは危険である。そのようなひとが駅のプラットホーム( 社名ではない )を歩いたり、歩道を歩いたりしたら車両に激突してしまう。カバンどころの話ではない。死んでしまう。しかし、激突マンは生きている。よって、激突マンの空間把握能力は正常であるといえる。激突マンは正常なのである。
これで「 激突マンは意図的に激突している 」という証明ができた。
次に、なぜ激突マンは意図的に激突しているのかを考える。激突マンの標的はカバンである。当然カバンには持ち主がいる。カバンの持ち主はカバンに激突されたことにより激突マンの存在に気づく。激突以前にも存在には気づいていたかもしれないが、激突されることにより激突マンの存在をさらに意識するようになる。
これで激突マンの意図がわかった。激突マンはカバンに激突することにより、カバンの持ち主に自分( 激突マン )の存在を主張 しているのだ。
僕を見て僕を見て僕の中のモンスターがこんなに大きくなったよ、僕はここだよ、僕の存在に気づいてよ、おとうさー…ん、おかあさー…ん、て、鉄雄!? 鉄雄なのか!? そこに居るのか鉄雄!? 僕はここだよ、僕はここに居てもいいの? ここに居てもいいんだね! おめでとうおめでとう、ありがとう
という状態なのだ!
な、なんだってー。
激突マンの背景には、日常生活では他人から自分( 激突マン )の存在を否定されたり無視されたりしており、存在感が薄い自分への劣等感に苛( さいな )まれ、またそのようなことだから言葉を用いたコミュニケーション能力が不足している、他人と言葉を用いたコミュニケーションできないから身体を使ってコミュニケーションしようとしている、これはスキンシップである、という心理があるのだ。
おわりに
以上により、激突マンの心理がわかったと思う。
激突マンはいまの日本社会が産んだ悲劇のひとびとなのだ。社会の底辺でがんばっているひとびとなのだ。寂しいひとびとなのだ。愛するべきひとびとなのだ。だから我々は激突マンに会ったら密かに彼/彼女らの幸福を祈ろう! 気が向いたら。
がんばれ激突マン!
たたかえ激突マン!
みわさんの方が酔っぱらってるようにしか見えません、この考察(^^;
激突マンSEED〜人間って〜(T_T)
うははは。私はシラフでも酔っ払い風味になれるのだ。酔拳?
超時空要塞 激突マン 〜愛、おぼえていますか〜
「報告書」と言っても、調査報告書ではなく脳内理論の報告書だね(笑)
立ってる人の位置が悪い(階段目の前等)だと、完全に避けきる位置へ移動せずにぶつかる感じで歩く事はある。<br>ちなみに、絵があるけど、著作権に引っかからない?