2004-10-22
_ 仕事
0830 東陽町。
_ 仕事
1930 退勤。
_ 老人と海
読み終わり。
「 老人が海でカジキを釣った作品 」という認識しかなかった。読んだことがない本というか話自体をまったく知らなかったのである。
話
1 日目。老人が沖に出てすぐにカジキが鉤( かぎ )に食いつく。
1 日目夜〜 3 日目。老人とカジキとの駆け引き。老人は飲み食いはしているが不眠であった。
3 日目昼。カジキの心臓に銛( もり )を刺してカジキを殺す。
3 日目夕方〜夜。陸に戻る途中で鮫にカジキを狙われる。鮫の 4 匹目までは老人と鮫との死闘( 命がけなのでまさに死闘 )を描写していたのだけどその後は「 以下略 」といった感じ。
3 日目夜。陸に戻ったころにはカジキは鮫に食い荒らされていて肉が残っていなかった。
つらつら
老人が前向き思考なのだね。
カジキが鉤に食いついてからカジキに銛を指すまでに長時間かかっているのだけど、その間ももちろんカジキに振り回されて手をケガするし、疲労もする。そんなつらい状況なのだけど老人は「 だいじょうぶだ。おれはやつを殺す。まだいける 」などと声を出して自らを奮い立たせている。つらくなったときに声に出して自分を奮い立たせるという場面がしょっちゅうある。声に出すことでそれが実現するという考えかは分からないけど、やはり意思を明確にするために実際に声に出すことは重要か。
また、カジキを殺してから帰るまでの鮫との死闘では最初に銛が鮫に奪われる。そこでアタフタしないで次の鮫の襲撃に備えてすぐに切り替えて別の武器を用意する。その武器もまたすぐに鮫に奪われる。老人にとってじつにマズイ状況になってもそれを悲観せずにすぐに次の行動のために思考を切り替える。
じつに見習いたくなるほどの前向きな老人。
人気
結局なぜ「 老人と海 」が人気があるのか分からなかった。
老人のカジキに対する対決の姿勢/覚悟というのは、そこには生物としての食うか食われるかという世界を感じとれる。しかし、人気があるのはこれだけではあるまいと思うのだけど、なんだろうか。
文章そのものは読みづらい。老人と少年が会話するときはどの言葉が誰の言葉かというのがすぐには分からなかった。
_ 老人と海( 2 )
風呂に入っている間に考えがまとまったのでもう一回書いてみる。
上に書いたものはせっかくだから残しておく。
要点。
身近なことに例えてみよう
作品は以下の場面に分けることができる。
- 海に出る前
- カジキとの駆け引き
- カジキを殺す一瞬
- カジキを陸に連れ帰る
これをプログラムを書くという行為に例えてみる。
海に出る前
プログラムの設計とみなす。
どのような道具を持つか、誰が行くか。
このとき老人は少年から「 一緒に行くよ 」と言われたのだけど一人で行くと言って、老人ひとりで海に出た。
持っていった道具は忘れた。
カジキとの駆け引き
プログラムの足場( デバッグ/テスト用コード )を作って、コードを書いて、テストして、デバッグするという作業とみなす。
最初に書いたように、カジキが鈎に食いついてからまる 2 日間もカジキと闘った。
プログラムのテスト、デバッグも時間をかけるのだ。
カジキを殺す一瞬
プログラムのリリース、納品とみなす。
プログラムはすでにテスト済みなので客先に納入して終わり。
やはり一瞬なのだ。
カジキを陸に連れ帰る
プログラムが使われはじめてからのメンテナンスやサポートの期間であるとみなす。
せっかくのカジキが鮫に食われて陸に着いたころにはもはや原型がない。使い物にならない。
プログラムもメンテナンスが必要だし( プログラムは使われはじめてバグが出るのだ )、客先のサポートも必要だ。しかしそれをサボるとすぐにプログラムは破綻するし、客も怒り狂ってしまう。たいへんたいへん。
老人はしきりに「 少年がいればなあ 」と言っていた。しかし船には老人ひとりしかいない。補助してくれるひとはいない。老人は「 一人であった 」「道具が足りなかった 」という設計段階のミスを犯したわけである。
お前
老人はカジキのことを「 お前 」「 兄弟 」などと呼んでいる。
カジキを擬人化している。
老人が言っていたが、老人は海で出会ったそのカジキを愛した。
「 おれはお前を殺す。殺すんだ。お前もおれを殺そうと思っているだろう 」
「 しかし愛したお前をおれは殺す。これは罪なのだろうか。」
まとめ
「 老人と海 」はただの釣りゲームではない。
ここには人間が生きるために別の生き物を殺すという行為。そうしなければ生きていけないということが書かれているのである。
「 老人と海 」はそーいう話であった。