2016-01-30 :-)
_ やったこと
0700 起床
0800 自社活動に向けていくつかリーンキャンバスを書くなど
0900 ぼくがかんがえたさいきょうの営業活動を部長にメールで投げておくなど。休日だけどね。居ても立ってもいられなくなったので。それに Running Lean でいえば「プランAはどうせ却下される」ということで臆せずぶん投げた。
1200 おひる。カップラーメン。毎週食べると飽きてくるな
1600 中野サンプラザ
2200 飯。カレー
_ [聖剣伝説]SQUARE ENIX Presents 聖剣伝説LIVE ~Echoes of Mana~ Produced by Kenji Ito
@中野サンプラザ
行ってきた。
内容をよく見ないで「イトケンかー チケット買うか」と脊髄反射でチケットを買って会場に行ってみたら意外と若者しかも若い女性が多くて、「イトケンの聖剣伝説だと初代(ファイナルファンタジー外伝) くらいだよな...最近も何かやってるのか。それは曲が分からんかもしれんな」と若干不安になったんだが蓋を開けてみたら全部初代聖剣伝説(ファイナルファンタジー外伝)の曲だった。なおゲーム未プレイ。サントラは持ってる。
バンド構成で、ステージに設置されたスクリーンに聖剣伝説の(!) ゲーム画面が映し出されながら曲を聞くという形式。メーカーが主催するゲーム音楽コンサートだとよくある形式だが、ここで聖剣伝説の曲にあわせてその曲が使われた場面(と思われる。なにせプレイしてないのでね) を一緒にスクリーンに流すというのはこれまでどおりだが、オープニングはもちろん、ラストバトル、エンディングまでゲーム画面を映し出すという荒業を炸裂させてくれた。やりやがったなスクウェア。Distant Worlds [ 20101107#p01 ] のときは酷い有様だったんだが、同じスクウェアなのだから権利がどうのこうのとか無いだろうし。スタッフのやる気の違いか。
曲の合間にゲストによるトークがあった。2 回あった。
- 菊田裕樹 下村陽子
- 石井浩一 小山田将
基本的には聖剣伝説 25 周年ということで 25 年を振り返って、聖剣伝説との関わりを語っていった。この中でイトケンから石井浩一さんへの質問と、それへの返答に感銘を受けた。たしかこんなだった。
イトケン「アクション RPG というと当時はすでにゼルダの伝説があった。聖剣伝説はゼルダの伝説とはどういう点で違いを出そうとしていたのか」
石井浩一「人間は一人で生まれて、一人で死んでいく。でも生きていくうえではいろいろな人々と出会い、支えられながら生きていく。誰かを愛して、誰かから愛されたりする。誰かを愛して『自分はこれだけ愛しているのになぜこうしてくれないのか』などと考えるのではなく、その愛する人がどうやれば幸せに暮らせるのか、幸せになれるのかを考えて生きていく。聖剣伝説では、そういった支え、支えられながら生きているのだということを伝えたかった。そういうテーマをシナリオで押し付けがましくアピールすることはできるけど、そうではなく、ゲームをプレイしたひとが後で『ああ、あれはそういう意味だったんだ』と気づいてくれるような、そういうものを作った」
だいぶ違うもしれんけど。ようするに「人は支えあいながら生きている」ということだった。
このトークまでの間にすでにスクリーンに映しだされるゲーム画面には、姉が自己犠牲となり弟を救う といった場面も映しだされていたし、オレは聖剣伝説(初代)は未プレイだけど聖剣伝説2でディラックの自己犠牲などを思い出していた。
そんなトークを聞き、スクリーンで映しだされるゲームもストーリーが進んでいきクライマックスとなり(たぶん。未プレイなのでね) 演奏されるラストバトルの曲「最後の決戦」を聞いていたら涙がだらだら流れてきた。
ゲームはプレイしてないけど、断片的に得られるゲームの情報、青年と少女が出会い、冒険が始まり、出会いと別れを繰り返し、ついに青年はマナの力を得て、決戦へと臨む。その背景があってこその「最後の決戦」である。ゲームはプレイしてないけど想像はできる。これまでの冒険の数々や出会ったひとびと、その果ての決戦だ。オレはだらしなく涙をだらだら流しながら、昔 FF5 のサントラを買ったとき、FF6 のサントラを買ったとき共にゲーム未プレイのときにサントラを聴きこんでいたが、ライナーノーツや天野喜孝のイラストを眺めながら曲を聞くだけでこのファイナルファンタジーがどういう世界なのか、どういった冒険が待ち構えているのかワクワクしながら聞いていた。ゲーム音楽だけが好きになったあのころを思い出しながら「最後の決戦」を聞いていた。やはりオレはゲーム音楽が好きなのだなあ。